himarayasannmyakuのブログ

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【鬼滅の刃】鬼滅にハマれなかったヤツの愚痴

ご訪問ありがとうございます、暇ラヤ山脈です。

前回の投稿からかなり時間が空いてしまいました。FGOやらなくなった分、プラモに時間を割けるようになって時間の感覚がルーズになってるのかもしれません。

ついついブログは後回しになってしまうんですよね…。

えー気を取り直して、今回は最近はやりの鬼滅の刃について思うところをまとめてみました。

新聞やらテレビやら、いろんなところで取り上げられてるので、コロナ自粛期間中に気になって一通り漫画を読んでみたんですよ。

 で、「なんかおかしい」となりまして。

じゃあアニメの方はどうなんだってことで、ついこないだ映画公開記念で再放送やってたのを見たんだけど、やっぱり心から面白いと思えない(ーー;

それが気になって、スッキリしない原因は何なのか考えてみたのがこの記事になります。

 

WORNING!

※原作はジャンプ公式アプリ&単行本で読了、アニメ1期は全話見た上での感想です

※なお外伝・小説・ドラマCD・映画はノータッチです

※ネタバレ注意

 

人間=善? 鬼=悪?

善悪の境界線がずっと曖昧だったのが引っ掛かりました。

この作品、設定を無視したまま人間=善、鬼=悪の構図が当たり前になってます。

鬼は人を喰うから害悪→滅ぶべき、という人間側の認識は分かります。

鬼は人間の幸せを一方的に壊しているわけですから、人から恨まれるのは自然なことです。

しかし、作品の中で鬼たちは全員が全員、望んで鬼になったわけではありません。

禰豆子を見ていると、どうやら人を喰うのは本能であり、本人にはどうしようも無い生理現象だと分かるようになってました。

つまり、鬼にも事情があるんだよ、という描き方です。

にも関わらず、主人公たちがやっているのは鬼を殺すことだけ

いや、鬼殺隊なんだから鬼を退治するのは当然だけども(^^;)

鬼が可哀想と言うわりに、憐れむ以上のことは何もしない。

なんなら終盤は鬼殺隊が鬼に対して「生きていることそのものが悪」、「最低」、「異常者」とまで言ってのける始末です。

鬼殺隊のメンバーの中には身内が鬼になってしまった人も少なからずいるのに、事情を聞いてやろうなんて気が全くなければ、解り合おうともしない。

だから、炭治郎が鬼を倒した後に

この人が今度生まれ変わるときは鬼になんてなりませんように

なんて言っても取って付けた感じがしてしまう。

鬼が過去を思い出して勝手に救われてるのだから、あたかも炭治郎が救ったように話を強引に持っていく構成は、とても違和感が強かったです。

結局、主人公たちには鬼に悲しい境遇があったことが伝わってないですし、炭治郎たちは退治してきた鬼の事情は知りません。

だから、いい話だなー、泣けるなーと感動したように見えるだけで終わってしまうのがもったいないなと感じました。

 

解決手段が暴力しか提示されなかったのも、しっくり来ないなぁと。

鬼を退治するのが鬼殺隊の仕事だけど「相手を殺す」だけでは鬼と何ら変わりません。

せっかくフィクションの世界なんだから、殺し合うだけの関わり方から抜け出そうとするキャラクターがいたらもっと面白くなるだろうにと思ってしまうんですよね。

例えば、鬼を憐れむことからさらに踏み込んで友達になったり、真剣に共存を考えることもできたんじゃないかと思うわけですよ。

炭治郎が家族の絆で窮地を乗り越えるなら、それで鬼も救ってみせてくれ、と(^^;

 胡蝶カナエ(故人)の「人も鬼も救いたい」発言がその伏線かなと思ってたんですが、

普通にスルーされてて肩透かしを食らった気分。

 

それから、鬼殺隊と鬼の戦いを客観視できる第三者が欲しかったところですね。

鬼も異常だけど鬼殺隊がやってることも異常なんだ、と言える人たちが登場すれば世界観が広がると思うのですが、どうでしょうか。

政府非公認だし、選別試験で間接的に人をたくさん殺してる組織が社会的に正常なわけがないですから、一般常識の目線で言われたら何も言い返せないはず。

「鬼殺隊が異常者の集まり」は一般人に言わせたほうが破壊力はデカかったんじゃないですかね(^^;

主人公たちがハナから異常者と決めつけてかかってる無惨が何か言ったところで、「うるせぇ56す」になるのは当たり前ですよ。

守ってきたはずの人間から耳の痛い現実を突きつけられたら、 そりゃあ辛いでしょう。

でも、人間てなんだ?鬼ってなんだ?と鬼殺隊に考えさせるいい機会だと思います。

 

・炭治郎たちが政府非公認の組織で活動するという意味

・鬼殺隊が元人間の鬼を殺すことは果たして正しいのか

 

ここらへんに言及する話が見たかったなぁと思いました。

とにかく価値観が偏りすぎてるから、変化球とかでバリエーションが欲しい(^^;

そもそも鬼殺隊が鬼を倒してめでたしめでたしなヒーロー物をやりたいなら、鬼の過去回想はいらないです。

鬼に感情移入できてしまう描写は避けるべきでした。

でなければ、鬼殺隊が可哀相な過去を持つ(元)人間を囲んで殺すだけの後味の悪さが残ります。

しかし、「鬼にも同情する余地がある」描写をしてしまった以上、炭治郎たちにも鬼の事情と向き合わせる展開を用意するべきだったかなと思います。

元人間(自分たちとかつては同じ存在)を殺している現実に対して各々がどう考えるのかぐらいはやってほしかった。

鬼殺隊は徹頭徹尾、躊躇なく鬼を殺していくので、鬼を元人間にする必然性がはたしてあったのかどうか(^^;

妹を鬼にされた炭治郎も鬼を殺すのに夢中ですから、それこそ理不尽な暴力を正当化している無惨と変わりません。

コレ、どっちがホントの鬼なんですかね。

 

要約:人間と鬼の立ち位置が定まってないせいで鬼以上に人間が邪悪に見える

 

各種設定についてのアレコレ

・選抜試験

ただでさえ人手不足なのに間接的に未来の隊員候補たちを殺してるのもどうかと思いますし、手鬼みたいなのがのさばってる時点で試験としてアウトでしょう。

十人かそこらで済まない人数の子どもたちが死んでるのに、運営側に責任が問われないのもおかしくないかなぁ(^^;

 

・政府非公認組織

鬼殺隊が政府非公認であることは面白い設定だったと思います。

政府側の人間を炭次郎たちと絡ませれば、客観的な常識が読者に伝わったのかな、と思います。

明治時代には警察もありましたし、鬼を調べてる警察とか出てきたら面白かったかも

作中には鬼殺隊の価値観と鬼の価値観しかないですから一般人の視点が欲しかった(^^;

 

・大正時代

物語の舞台のはずですが、大正時代という設定そのものに意味を感じられませんでした。

というのも、先ほどの政府云々で述べたこともそうですが、大正時代ならではの要素や風俗が本筋に絡むことがまるでなかったからです。

チャンバラやりたいなら江戸時代でも成立するんじゃないだろうか。

 

・『呼吸』について

武道は人が世代を超えて積み重ねてきた伝統と言えるわけで、作品のテーマとの取り合わせは悪くなかったと思うんですよ。

具体的に呼吸ごとにどう差異があるのか最後まで分かりませんでした。

戦闘スタイルの差別化があまりされてなかったのが残念。

 

キャラの扱い

 

▼他に比べて掘り下げが少なすぎる炭治郎

とにかくキャラ像がチグハグになってて、最初から最後まで好きになれなかった。

細かい部分ですごく違和感を感じることが多かったんですよね。

それが何回も何回も頻繁にあるから、一本筋の通った主人公として見れなかったです(^^;

まず目についたのは、鬼を殺すことに躊躇いが無いこと。

序盤の頃は、無惨の居場所を聞き出すために、鬼と会話を試みるも、話が通じず戦う流れになるのですが、最終的に『どうやって殺すか』に流れに変わってるんですよ。

「鬼は悲しい生き物だ」と言っても救おうとはしないという(^^;

柱が登場してからは炭次郎は無惨に追っ手を嗾けられるようになるので、わざわざ鬼に無惨について聞いて回る必要も無くなりました。

つまり、対話や相互理解する機会も無くなったわけです。

あえて主人公の異常性を押し出すことで、テーマを掘り下げる作品もありますが、この作品に常識人なんていないからな…(^^;

 

炭治郎本人の内面の描写は皆無と言っていいでしょう。

ヒノカミ神楽に関する説明と独り言が掘り下げの代わりってことなのでしょうか。

「優しい」とは言われるものの、他人に理想の家族像や人物像を押しつけてるようにしか見えず、サイコパスなキャラ造形に拍車を掛ける始末。

実際は、本人が気に入らないものを頭ごなしに否定して満足してるだけですから、非常に押しつけがましいキャラになってしまっています(^^;

そして、他のキャラたちがそんな炭治郎の太鼓持ちになっていくのが見ていてホントにきつい(ーー;

みんな炭治郎に取り込まれて価値観が同化されていくんですよ。

炭治郎を正当化するために、作品そのものを使って無理やり炭治郎を持ち上げようとしているようにも見えてキツかった。

面と向かって否定し続けたのも無惨くらいなもんでしょう。

(そもそも無惨から異常者扱いされても説得力皆無なわけですが…)

 

▼人間に戻す必要が無い禰豆子

お話の都合に振り回されてばかりだった印象です。

禰豆子が鬼になっても炭治郎にとっては大して不利益が無かったのは一番まずかったと思ういます。

鬼は理性が無かったり記憶が無くなったりするそうですが、鱗滝さんの催眠術でなんとかなってしまいました。

(そんな便利な物で食人衝動抑えられるなら剣術じゃなくて催眠術教えたほうがよくないですかと思ってしまう)

1話で食人衝動に駆られて炭治郎に襲いかかってた禰豆子はどこへやら。

食人衝動の方は炭治郎がえっちらおっちら修行してる間に解決した模様です

さらには血鬼術の毒を解毒したり、炭治郎の刀が強化されたりと、戦力として使い勝手がいいので戦闘に駆り出される始末(^^;

 

1番の問題点は、雑に強くしてしまった結果、炭治郎が禰豆子を人間に戻す目的が有耶無耶になってしまった点です。

炭治郎が鬼殺隊に入った理由は、禰豆子を人間に戻すためでした。

炭治郎にとっては、無惨を倒すのはそのための手段に過ぎず、メインじゃなかったんですよ。

しかし、柱合会議のあたりから炭治郎が鬼殺隊に認められることに話が変わってきてしまいました。

認められるために鬼を倒す方へ話が逸れてしまい、次第に禰豆子のことは後回しになっていきます。

その結果が、炭治郎とは関係のないところで人間に戻る展開なのではないでしょうか。

鬼滅の刃』のゴールとして無惨を倒す形で終わらせたいけど、そういや禰豆子を人間に戻すのが本筋だったよなぁ、と思い出したような感じが何とも言えません(^^;

炭治郎の中で無惨を倒すのが優先なのか、禰豆子を人間に戻す方が大事なのか確認しなかったツケが噴出してしまった感じでしょうか。

 

・禰豆子が食人衝動で人を襲って(喰って)炭治郎の立場が危うくなる

・炭治郎が禰豆子を救うか、鬼殺隊の仲間を救うかの選択を迫られる

 

…みたいなエグい展開をやった後なら、印象も変わったかもしれませんね。

それこそ炭治郎が飢餓状態の禰豆子に抱きついて、引き剥がされても、喰われそうになっても『人間を食べちゃダメだ!人間の心を無くしちゃダメだ!』と命がけで説得するシーンとか欲しかったです。

それぐらいやらないと家族の絆とか炭治郎の優しさを強調出来ないんじゃないかな(^^;

全編を通して、鬼になっても人喰いになっても炭治郎は禰豆子の味方なんだということをくどく過剰に、読者に印象付ける描写が必要だったと思います。

人喰いの怪物が人と共存できるのか、というのはこの作品において大きな意味を持つことになったと思うので、踏み込んで欲しかったな。

 

◆悪のカリスマ(笑)鬼舞辻無惨

こんな体たらくでよくもまあ1000年も生きてこれたなと、一周回って感心するレベルの小物でした。

ブラック上司っぷりを最後まで貫き続けた姿勢はいいと思うけど、ネタキャラとしての魅力しかないのはちょっとなぁ(^^;

どんなに悪い行いをしていても「これだけは絶対に譲らない」という強いこだわりがあれば、共感の余地もあったのでしょうが、作品の粗を全て押し付けられた結果、何やっても否定される哀れなキャラに(ーー;

終盤は本当に惨めでした。

例えばですが、無惨が「鬼殺隊との因縁を今日こそ断ち切りに行く」と部下任せにするだけでなく、率先して鬼殺隊と戦っていたら印象が違ったのかもしれません。

彼は悪であるが故に最後は主人公に敗北しますが、鬼殺隊と自ら決着をつけようとしていた姿勢は読者に評価されるのではないでしょうか。

弱くて狡い奴でも「こいつはこういうところがあるから嫌いになれないよな」って感じに。

無惨の過去の掘り下げも不足気味ですが、何よりも集団の長として有能なところを見せて欲しかったですね。

それからこの方、なんで人間に紛れて生活してるんでしょうね?

鬼殺隊に見つけられない無限城に引き籠ってればいいんじゃ…(^^; 

 

◆ライバルになり損ねた十二鬼月

いわゆる敵サイドの強キャラ達(十二鬼月は、上弦で六鬼と下弦で六鬼ずつに分かれており、最強たる主席は“上弦の壱”、最弱である末席は“下弦の陸”)。

みんなあっさり倒されてしまいましたよね。

主人公たちが乗り越える壁としては役不足だったってことでしょう。

上弦の参を除いたら全員初見で倒されちゃってるのもなんだかなぁ…(^^;

(※下弦のうち四人は無惨に殺されてます)

 過去に『上弦の鬼が三人の柱と相打ちで討伐できた』記録があるんだから、『味方サイドの強キャラが一撃で倒されてしまう』くらいして欲しかったところ。

中ボスの段階で味方サイドに勝ち目がない→無惨はもっとヤバいと読者に刷り込むこともできますしね。

『○○に◇◇が殺された』だけでなく、『△△が○○に挑んで負けた』みたいな因縁で盛り上げることもできたと思うんですよ。

負けた悔しさをバネに修行してもう一度挑みに行く展開とか見たかったなぁ(^^;

上記の二つを踏まえて脚色するとしたら、私の場合、最初の上弦の参こと猗窩座戦を

肉付けして...

・猗窩座が一人で炭治郎、伊之助、善逸を立ち上がれないほどボッコボコにし、煉獄も殺害

猗窩座に去り際に「弱者が戦場に出てくるな」と捨て台詞を吐かれる

 

列車の乗客は守れたけど、自分のせいで煉獄が死んだ事実と本気を出してない猗窩座に手も足も出なかったショックを乗り越えるお話を書きたい。

そのために、炭治郎にはトラウマになるくらいボッコボコにされてほしいですね。最終的には成長した炭治郎と精神的に変化が起こった猗窩座が一対一で再戦し、辛くも勝利する展開にして、猗窩座の心まで救えたらお互いの因縁にいい形で決着が付くのではないでしょうか。

猗窩座が自分を倒した炭治郎の努力を讃え、強者と認める展開まで描けたら最高ですね。

上弦の弐・童磨も上弦の壱・黒死牟も素材はいいんだから、もっといいキャラにできたと思うんだけどなぁ…(^^;

 

要約:こんな磨けば光る強キャラたちを在庫処分セールみたいに雑に扱われたのが釈然としない

 

▼なんかよく分からない柱たち

主人公サイドの強キャラ達。

...まぁ、なんだかんだ言って上弦を初見で倒すあたりかなり強い人たちだとは思うんですが(描写が丁寧だとは言ってない)

掘り下げも全体的にパターン化していて食傷気味でした。

これは鬼滅の回想シーン全部に言えることですが、「悲しい過去がありました 」以上のことが描かれてないんですよ。

「悲しい過去」を持つ者同士で十二鬼月と鏡写しになるキャラ達ではあるんですが、

だからこそ、鬼との差別化は必要だった気がしてならないのです(^^;

(過去への執着で停滞を選んだのが鬼ならば、対比として柱(人間)は乗り越えていって欲しかったところ)

煉獄や宇随のキャラはあれでよかったと思うんですが、他の人たちはもう少し何か欲しかったです。

胡蝶しのぶは一貫して手段を選ばない復讐者だったので、復讐の過程で犠牲にしてきた命があったことも鑑みて「童磨と一緒に地獄に行く」が妥当だったかな。

天国から家族が迎えに来て一緒に天国に行くのは少々、虫が良すぎる気もします。

不死川兄弟も死に別れるまで本心が通じ合えなかったのもかなり酷い。

実弥は家族を守れなかったトラウマを最悪な形で踏み抜かれたことになり、喪失感の方が強調されてしまうハメに。

キャラの心が過去に置き去りにされたまま終わっちゃってるから読んでいてすごく胸糞悪かった印象があります。

 

 結論:感情移入できるキャラがいない

素材はいいのに期待してた調理法と違ったというか。

悲惨な過去を設定だけで終わらせずに物語の展開やキャラの成長に組み込んで欲しかったんですよね。

あることに意味を持たせないのは如何なものかと思います。

それを抜きにしても墓参りのシーンにギャグ挟むのは違和感があったし、根本的にセンスが合わなかったんでしょうね。

そもそも、終盤になっても物語の軸がキチンと定まってない時点でキャラの問題だけでは済まなくなっていると思うのですが(^^;

 

最後に 

最後に私の『こうだったらよかった』。

例えばですが、政府公認の鬼狩りの警官を出して、鬼殺隊の任務の邪魔をしてくる展開とか欲しかったですね。

警官に正論を言われて何も言い返せない主人公を柱の誰かが助けてくれるとか、お館様の対応の仕方で器の大きさを描写するとか、色々できると思うんですよ。

「禰豆子のこと認めてもらえないけど、こいついい奴じゃん!」なら、不死川や伊黒にやらせればいい。

「こいつ、やる時はやる奴だ!」なら冨岡や宇髄にやらせれば、主人公と柱の高感度を上げるイベントとして使えます。

その人なりに信念があって戦っていることを描写できれば美味しいですね。

( 炭治郎たちにとっては人間について、鬼殺隊について、戦う覚悟について考え直すきっかけになるかな?)

と、流行りに乗っかっためんどくさい男の末路でした(^^;

▼△▼

纏めると、個人的な好みの問題もありますが、作品としての質はあまり高くないように感じます。

異常を鑑み、『キャラも世界観も思考停止し、考えることを放棄した作品』…というのが個人的な見解ですかね。

確かに本筋は人間が特殊な刀で鬼を倒す分かりやすい構図なのですが、気になるノイズが多すぎて物語に集中できなかったのが違和感の正体だと思います。

鬼を元人間として扱うのか、まったく別の生き物として扱うのかは早い段階で決めておいてほしかったですね。

主人公サイドが善悪の基準をころころ変えていってしまうし、やたら鬼に対して過剰に否定したりするのは如何なものかと思います。

リアルでシビアな路線で行くには細部のディティールが粗すぎたし、作品として炭治郎とその家族を軸にしたいのか、人間と鬼の違いを骨子にしたいのか途中で考えるのをやめた印象を受けます。

それを分かってないまま、作り手が楽な方、楽な方へと道を選び続けた結果、何やっても肯定される主人公が生まれてしまった気がするんですよ。

そして、最後までその構造的な欠陥に向き合わなかったため、世界観も炭治郎の価値観に沿わないキャラが否定され排除されていくディストピア化、という大惨事に繋がったのではないでしょうか。

結果、人間が鬼に勝利する意味も薄れ、得たものより失ったものの方が大きく感じたのかなぁと。

特に終盤の畳み方で裏切られたと感じることが多かったのが好きになれない大きな原因ですかね。

答え合わせを期待してたら

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

では、さいなら('◇')ゞ

 

※2024. 4/16追記修正